マスコミが報道しない真実

マスコミの言う「報道の自由」は、「報道しない自由」でもある。その報道されない真実とは…

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中国史観の日本教育 【歴史問題】

そもそも歴史とは、当事国の立ち位置によって大きく変わる事を知る必要がある。例えば、中国四千年(最近は六千年と主張)の歴史などは単なる政治的なキャッチフレーズであって、実際は存在しないのである。実際の中国は、戦争で勝った者が次々と皇帝を名乗り、前王朝の抹殺、大量虐殺を繰り返し、普遍的な民族すら存在しない断絶の歴史なのである。つまり、歴史史観とは、必ずしも事実に基づいたものではないのである。

みなさんは敗戦までの日本を、非常に好戦的かつ凶暴で、自由の無い暗黒国家であったように教育されませんでしたか?私はずっと違和感を感じていました。国によって史観が異なるのは仕方がない。だが、事実を歪曲してまで戦前の日本を愚弄することはあってはならない。これは国のために命を捧げた英霊までも罪人扱いにしようとするに等しいことなのである。

日本の歴史教科書において、出版会社の立ち位置がよく分かる項目の一つが「日中戦争(支那事変)」である。

「満州を支配下に置いた日本は、さらに中国北部に侵入しました。1937(昭和12)年7月7日、北京郊外の盧溝橋付近で起こった日中両国軍の武力衝突(盧溝橋事件)をきっかけに、日中戦争が始まりました」といった具合である。また、私が学んだ当時の教科書においては、盧溝橋事件については、関東軍により行われた謀略だと書いてあった。これは、見事なまでに中国が主張している中国の歴史史観。逆に言えば日本にとっての自虐史観である。では実際はどうだったのか?


【義和団事件】
日本にとって戦略的要衝であった朝鮮半島の独立をめぐる日中の争いは、日清戦争における日本圧勝で終わった。以降、「眠れる獅子」の幻想が消えた清は、欧米列強に分割統治されるにいたる。統治能力を失った清朝政府は1900年、「義和団」による排外運動を扇動した上に欧米列国に宣戦布告、公使舘地域を封鎖した。英・米・独・露・伊・墺・日の八ヶ国は連合して天津から北京へ救援部隊を差し向けた。

giwadan

柴五郎を筆頭に日本軍の勇猛果敢と軍規厳正は、列強を瞠目せしめた。篭城していた外交団・居留民は救われ、義和団は四散し、清朝政府は治安維持のため、諸外国に駐兵権を与えた。1937年7月に日本軍部隊が北京郊外の盧溝橋にいたのは、そういう経緯があったのである。


【盧溝橋事件】
支那駐屯軍(日本軍)5,300人と、支那国民党軍100,000人が衝突。1937年7月7日夕方、どちらが最初に発砲したかについて、支那共産党の周恩来首相が昭和24(1949)年10月1日の「中華人民共和国」成立の日に、明確に述べています。

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あの時(盧溝橋事件の際)、我々の軍隊(共産党軍)が、日本軍・国民党軍双方に、(夜陰に乗じて)発砲し、日華両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害し、我々(共産党)に今日の栄光をもたらしたのだ。
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周恩来の発言は、盧溝橋事件が当事者である支那国民党と日本陸軍との紛争ではなく、第三者である支那共産党による「工作」であったことを明確にしています。事実、不測の事態が発生する危険を考慮し、日本軍は盧溝橋での演習に実弾を装備していなかった。弾がなければ、国民党に発砲のしようもなく、両軍とも軍使を出して、現地で事件を拡大しないように交渉し、事件発生の5日後には、日支両軍は停戦協定を結んでいます。

しかし、その後支那国民党軍は締結された休戦協定を何度も破って再三日本軍を攻撃し、、第37師団を撤退させるという宋哲元の度重なる誓約にもかかわらず、同じ場所に留まりつづけた。7月27日、日本政府は平和的解決の望みを捨てて中国への援軍派遣を決定した。日付に注意して欲しい。日本軍は寡兵であるにもかかわらず、本国の軍隊を紛争地へ派遣する命令を出すまでに3週間が経過しているのに対して、南京政府は7月9日の段階で動員令を出している。20日間もの間、日本は何とかしてこの軍事衝突を最小限に抑え、地域的な紛争に限定し、平和的解決を図ろうと努力をしている一方、中国はその間、誓約を破り、挑発を繰り返していたのである。これが客観的事実である。その後、中国が共産党の策動を弾圧することなどを条件に、正式に停戦協定が成立し、調印を行なった。日本軍戦死:600余名 、中国軍戦死:16,700余名。


【通州事件】
盧溝橋事件の3週間後の1937年7月29日、盧溝橋の近くの「通州」という町で起こった日本人虐殺事件。これは、「盧溝橋で支那軍が日本軍に大勝し、通州を襲う」というデマ放送が流され、これに動揺した通州の親日派である冀東保安隊が寝返って、通州の日本人居留民約260人を殺戮した残虐な事件です。

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当時の通州

通州事件を実際に体験された女性の手記です。
クリックするとテキストファイルが開きます。
http://blog-imgs-46.fc2.com/r/o/b/roboukoishi/20101005211203598.txt

「通州事件」はその余りの残虐さに、現地の日本軍兵士を激昂させたし、日本では「膺懲(ようちょう)支那」の機運が盛り上がり、全面戦争への誘因になったのだが、なぜかこの事件は日本の歴史書や年表に載っていません。戦後、通州事件を外務省の公式声明を証拠として東京裁判に提出しようとしたが、ウェッブ裁判長によって却下され、日本の歴史から抹殺された。証拠の無い「南京事件」が教科書に載っても、「通州事件」が載ることはない。


【上海事変】
7月7日に勃発した盧溝橋事件からの日支衝突の和平交渉の最中の8月13日、突如支那軍は70,000人で上海の日本租界を包囲。対する日本の守備兵は海軍陸戦隊わずか4,000人。支那軍は、日本人居留民を包囲し、日本軍主力をおびき寄せ、殲滅しようとする作戦を実行に移したのである。蒋介石には日本を叩いて屈服させ、条約を全部無効にしたいという明確な意思が働いていました。日本はこうした意図を読み取れず、不拡大論、戦線拡大論が交錯することになります。

この頃の支那軍は、ドイツ軍事顧問団の訓練を受け、ドイツ製最新兵器を装備するなど用意周到な戦力で開戦に臨みましたが、寡兵かつ軽装備の海軍特別陸戦隊が大奮戦します。23日に待ちに望んだ日本陸軍主力部隊が上陸を開始しますが、支那軍は堅固な要塞でこれを殲滅する作戦を立てていました。

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ドイツ製最新装備にて行進する中国国民党軍

苦戦の末、日本軍主力部隊は要塞を突破、陸戦隊は日本人租界を守り切って第二の通州の惨劇を免れることができたものの、日本側は3ヶ月で戦死者10076名、戦傷者31866名、合わせて41942名の死傷者を出し、日露戦争の旅順攻略にも匹敵する凄残な攻防戦となった。

日本は、国民党政府が協定違反による開戦意思を持っている以上、これと対決する以外ないと判断し、南京にに向けて敗走する支那軍を追撃。日中は全面戦争へ突入していくことになったのである。歴史上、上海事変の詳細が語られないのは、計画的かつ圧倒的戦力の支那軍が協定を無視して手薄な日本軍を奇襲攻撃したことが、日本に「侵略国家」のレッテルを張りたい中国(連合国)にとって都合の悪い事実だったからである。

ニューヨーク・タイムズ8月30日
「日本軍は敵の挑発の下で最大限に抑制した態度を示し、数日の間だけでも全ての日本軍上陸部隊を兵営の中から一歩も出させなかった。ただしそれによって日本人の生命と財産を幾分危険にさらしたのではあるが…」

ニューヨーク・ヘラルドトリビューン紙9月16日
「中国軍が上海地域で戦闘を無理強いしてきたのは疑う余地は無い」

歴史教科書にあるように、日本が中国北部に侵入(侵略)したわけでなく、盧溝橋事件をきっかけに日中が戦争を始めたわけでもなく、どこにも日本が侵略した事実など無いのです。事実は国際条約に沿って進駐していた日本軍に挑発を重ね、休戦協定を破って攻撃を繰り返し、日本人租界に住む民間人を襲撃したこと。一方、日本側はギリギリまで反撃を避けており、欧米諸国の新聞社も日本に同情的であったことが分かります。事実はそれだけしかないのです。つまり、日本は中国の歴史史観を押し付けられ、受け入れてしまっているのである。

参考までに歴史教科書の比較資料リンクを掲載します。中にはどこの国の教科書なのかと疑いたくなるようなものも多い。出版社は「売れる教科書」を作るのであるが、採択に日教組教員が直接または間接的に関与しているケースが多いことが原因の一つであろう。

日本文教出版. 帝国書院. 清水書院. 自由社. 教育出版. 育鵬社、東京書籍
歴史教科書 出版社別比較表   PDFダウンロード 344KB 


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*Comment

侵略の準備として 

原罪意識の叩き込みですね。若い人達が心を病む訳です。
  • posted by 日本人の子供 
  • URL 
  • 2011.11/23 20:05分 
  • [Edit]

Re: 侵略の準備として 

日本人の子供 様

コメント有難うございます。

間違った歴史教育が新たな反日主義者を量産する、これまでの負の連鎖を断ち切って自虐史観から脱却し、国の為に命を落とした英霊達の名誉を回復すること。この当り前のことからやっと日本はスタート地点に立てるのだと思います。
  • posted by 耳庵 
  • URL 
  • 2011.11/26 11:58分 
  • [Edit]

No title 

]非常に判りやすい歴史問題の内容でした。
今のネット社会ではちょっと調べれば調べられないものは殆どないのに、調べる自由もない一般中国人がとても哀れです。

中国政府は国民を騙し、その先は・・・
自分の考えを持たない操り人形を増産しているところに非常に危険を感じます。
  • posted by  
  • URL 
  • 2014.03/21 22:12分 
  • [Edit]

NoTitle 

南沙織がすきでした。あまり南にいくと、中国自滅する気がする。海南島だって、少し前は共産党の支配でなかったのに。ハードランディングか。元も清も、明も純粋に漢民族国家でない。やっと手にした中華民国を、コミンテルンに売ったひとたち。もっと中華民国を大切にすべきだったのでは??なんで権力争いになってしまった??広すぎて大変なのは理解できるけど。日本も挑発に乗らず満州でストップできれば。通州とか石油stopとか、わなにはまったけど。結果、中国人に迷惑かけたな。
  • posted by  
  • URL 
  • 2015.05/17 12:34分 
  • [Edit]

NoTitle 

歴史問題の大事なことは、日中韓で戦争が悲惨すぎるということを認識することだ。第二次世界大戦後、中国では権力争い、悲惨な内戦が続き、餓死者を含む多くの犠牲者が出た。韓国は朝鮮戦争に突入する。日本にはエセ平和主義者がたくさんいる。日本は敗戦した、平和憲法を順守せよ。ちがう、戦争は、悲惨すぎる、だから戦争をしてはいけないのだ、それが真の平和主義だ。
  • posted by えせ平和主義は危険 
  • URL 
  • 2015.05/26 07:09分 
  • [Edit]

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