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在日に洗脳される神戸市役所 【在日特権】
本ブログは、在日特権を要求する在日朝鮮人について取り上げてきたが、逆に彼らの圧力に屈してきた役所側にも深い闇が存在していることが明らかになってきた。国家のことを最優先に考えなければいけない公務員、しかも上級職の公務員が、なぜ国益を損ねてまで朝鮮人の為に働くのか?
この謎を解く興味深い実例が明るみになった。それは神戸市役所が課長研修と称し、毎年在日朝鮮人だけを人権問題の講師として招いていた事例である。外国籍であるが故、上級公務員になれない在日神戸市職員、しかも中学校英語教師が人権研修の講師とは…。しかも、歴史学者でもない講師が使う教材は全て朝鮮史観に基づくものであった。資料には二十万人以上が「強制連行」されたなど、今となっては時代遅れでまったく根拠のない朝鮮人の一方的主張のみが列挙されている。これについて職員人材開発センター長は、歴史観には様々な見方があるなどと言っているが、そうであるなら一方的な見解のみを研修で取り上げるべきではないだろう。
課長昇任時研修で市役所幹部に人権・歴史教育を行なうということは、講義内容は市役所で公認された一般常識となり、業務上のコンセンサスとなることを意味する。この洗脳教育の結果、神戸市は年金を一切納めなかった300人の在日朝鮮人に、福祉給付金と称して年間1億2千万円を支給している。さらに神戸市だけでも、3つの朝鮮学校に1500万円を補助と称して支給している(兵庫県はそれ以上の額を支給。また朝鮮高校無償化にも賛成)。
そもそも人権問題が「在日朝鮮人」だけにあるような研修自体が間違っている。これでは姿を変えた「在日特権」と言われても仕方がない。120万人のうち2万人(1.6%)に過ぎない在日朝鮮人の他にも多くの外国人が存在し、また大部分を占める日本人にも貧困層、母子家庭、高齢者、過疎地、ニート問題等、扱うべき人権問題は山ほどあるのだ。神戸市職員には猛省を促したい。
以下は桜井誠氏とチーム関西が、その話を聞きに神戸市役所を訪問した時の動画(2011/10/14アップロード)である。一時はニコニコ動画ランキング二位~十位に入る常連であったため、神戸市役所へのクレームが殺到した。例のごとくマスコミは「報道しない自由」を行使しており、さらなる拡散を期して本ブログで取り上げた次第である。動画は1~27で構成されており、全てを視聴するには多少の忍耐を必要とするため、一部抜粋しました。これを見れば神戸市職員の洗脳状態が手に取るように分かります。
なぜ人権問題で「在日朝鮮人」ばかりが取り上げられるのか?
との質問に答えられない職員
韓国で日本人は公務員になれない事実を認めようとしない職員
「日本人拉致事件」はどこの国が起こしたのか?
との質問に答えようとしない職員
研修で使用した根拠の無い朝鮮史観テキストの内容について、
いろいろな見方があるなどと発言する職員
これは神戸市役所だけで起こっている特別なことではないはず。地方公務員の行なう行政サービス上、在日朝鮮人も大事でしょうが、あくまでも日本国における大多数、及び主権者は日本国民です。よって外国人が主張する歴史史観や人権問題を『無条件』に受け入れることは、主権者たる日本国民に対する逆差別に他ならないのです。
神戸市総合コールセンター
http://www.kobe-call3330.jp/
電話:078-333-3330 Fax:078-333-3314
8:00-21:00 年中無休
神戸市 市民参画推進局 広聴課
http://www.city.kobe.lg.jp/information/mayor/letter/index.html
電話:078-322-5169 Fax:078-322-6032
この謎を解く興味深い実例が明るみになった。それは神戸市役所が課長研修と称し、毎年在日朝鮮人だけを人権問題の講師として招いていた事例である。外国籍であるが故、上級公務員になれない在日神戸市職員、しかも中学校英語教師が人権研修の講師とは…。しかも、歴史学者でもない講師が使う教材は全て朝鮮史観に基づくものであった。資料には二十万人以上が「強制連行」されたなど、今となっては時代遅れでまったく根拠のない朝鮮人の一方的主張のみが列挙されている。これについて職員人材開発センター長は、歴史観には様々な見方があるなどと言っているが、そうであるなら一方的な見解のみを研修で取り上げるべきではないだろう。
課長昇任時研修で市役所幹部に人権・歴史教育を行なうということは、講義内容は市役所で公認された一般常識となり、業務上のコンセンサスとなることを意味する。この洗脳教育の結果、神戸市は年金を一切納めなかった300人の在日朝鮮人に、福祉給付金と称して年間1億2千万円を支給している。さらに神戸市だけでも、3つの朝鮮学校に1500万円を補助と称して支給している(兵庫県はそれ以上の額を支給。また朝鮮高校無償化にも賛成)。
そもそも人権問題が「在日朝鮮人」だけにあるような研修自体が間違っている。これでは姿を変えた「在日特権」と言われても仕方がない。120万人のうち2万人(1.6%)に過ぎない在日朝鮮人の他にも多くの外国人が存在し、また大部分を占める日本人にも貧困層、母子家庭、高齢者、過疎地、ニート問題等、扱うべき人権問題は山ほどあるのだ。神戸市職員には猛省を促したい。
以下は桜井誠氏とチーム関西が、その話を聞きに神戸市役所を訪問した時の動画(2011/10/14アップロード)である。一時はニコニコ動画ランキング二位~十位に入る常連であったため、神戸市役所へのクレームが殺到した。例のごとくマスコミは「報道しない自由」を行使しており、さらなる拡散を期して本ブログで取り上げた次第である。動画は1~27で構成されており、全てを視聴するには多少の忍耐を必要とするため、一部抜粋しました。これを見れば神戸市職員の洗脳状態が手に取るように分かります。
なぜ人権問題で「在日朝鮮人」ばかりが取り上げられるのか?
との質問に答えられない職員
韓国で日本人は公務員になれない事実を認めようとしない職員
「日本人拉致事件」はどこの国が起こしたのか?
との質問に答えようとしない職員
研修で使用した根拠の無い朝鮮史観テキストの内容について、
いろいろな見方があるなどと発言する職員
これは神戸市役所だけで起こっている特別なことではないはず。地方公務員の行なう行政サービス上、在日朝鮮人も大事でしょうが、あくまでも日本国における大多数、及び主権者は日本国民です。よって外国人が主張する歴史史観や人権問題を『無条件』に受け入れることは、主権者たる日本国民に対する逆差別に他ならないのです。
神戸市総合コールセンター
http://www.kobe-call3330.jp/
電話:078-333-3330 Fax:078-333-3314
8:00-21:00 年中無休
神戸市 市民参画推進局 広聴課
http://www.city.kobe.lg.jp/information/mayor/letter/index.html
電話:078-322-5169 Fax:078-322-6032
テーマ : サヨク・在日・プロ市民 - ジャンル : 政治・経済
中国史観の日本教育 【歴史問題】
そもそも歴史とは、当事国の立ち位置によって大きく変わる事を知る必要がある。例えば、中国四千年(最近は六千年と主張)の歴史などは単なる政治的なキャッチフレーズであって、実際は存在しないのである。実際の中国は、戦争で勝った者が次々と皇帝を名乗り、前王朝の抹殺、大量虐殺を繰り返し、普遍的な民族すら存在しない断絶の歴史なのである。つまり、歴史史観とは、必ずしも事実に基づいたものではないのである。
みなさんは敗戦までの日本を、非常に好戦的かつ凶暴で、自由の無い暗黒国家であったように教育されませんでしたか?私はずっと違和感を感じていました。国によって史観が異なるのは仕方がない。だが、事実を歪曲してまで戦前の日本を愚弄することはあってはならない。これは国のために命を捧げた英霊までも罪人扱いにしようとするに等しいことなのである。
日本の歴史教科書において、出版会社の立ち位置がよく分かる項目の一つが「日中戦争(支那事変)」である。
「満州を支配下に置いた日本は、さらに中国北部に侵入しました。1937(昭和12)年7月7日、北京郊外の盧溝橋付近で起こった日中両国軍の武力衝突(盧溝橋事件)をきっかけに、日中戦争が始まりました」といった具合である。また、私が学んだ当時の教科書においては、盧溝橋事件については、関東軍により行われた謀略だと書いてあった。これは、見事なまでに中国が主張している中国の歴史史観。逆に言えば日本にとっての自虐史観である。では実際はどうだったのか?
【義和団事件】
日本にとって戦略的要衝であった朝鮮半島の独立をめぐる日中の争いは、日清戦争における日本圧勝で終わった。以降、「眠れる獅子」の幻想が消えた清は、欧米列強に分割統治されるにいたる。統治能力を失った清朝政府は1900年、「義和団」による排外運動を扇動した上に欧米列国に宣戦布告、公使舘地域を封鎖した。英・米・独・露・伊・墺・日の八ヶ国は連合して天津から北京へ救援部隊を差し向けた。

柴五郎を筆頭に日本軍の勇猛果敢と軍規厳正は、列強を瞠目せしめた。篭城していた外交団・居留民は救われ、義和団は四散し、清朝政府は治安維持のため、諸外国に駐兵権を与えた。1937年7月に日本軍部隊が北京郊外の盧溝橋にいたのは、そういう経緯があったのである。
【盧溝橋事件】
支那駐屯軍(日本軍)5,300人と、中国国民党軍100,000人が衝突。1937年7月7日夕方、どちらが最初に発砲したかについて、東京裁判の最中に劉小奇(共産党員)が「仕掛け人は中国共産党で自分は現地指揮者」と戦史政治課本に書いてある…というのは葛西純一氏の証言のみなので決定的証拠にはならず、今のところ、偶発的に銃撃戦が発生したと考えるのが妥当でしょう。
しかし、その後支那軍は締結された休戦協定を何度も破って再三日本軍を攻撃し、、第37師団を撤退させるという宋哲元の度重なる誓約にもかかわらず、同じ場所に留まりつづけた。7月27日、日本政府は平和的解決の望みを捨てて中国への援軍派遣を決定した。日付に注意して欲しい。日本軍は寡兵であるにもかかわらず、本国の軍隊を紛争地へ派遣する命令を出すまでに3週間が経過しているのに対して、南京政府は7月9日の段階で動員令を出している。20日間もの間、日本は何とかしてこの軍事衝突を最小限に抑え、地域的な紛争に限定し、平和的解決を図ろうと努力をしている一方、中国はその間、誓約を破り、挑発を繰り返していたのである。これが客観的事実である。その後、中国が共産党の策動を弾圧することなどを条件に、正式に停戦協定が成立し、調印を行なった。日本軍戦死:600余名 、中国軍戦死:16,700余名。
【通州事件】
盧溝橋事件の3週間後の1937年7月29日、盧溝橋の近くの「通州」という町で起こった日本人虐殺事件。これは、「盧溝橋で支那軍が日本軍に大勝し、通州を襲う」というデマ放送が流され、これに動揺した通州の親日派である冀東保安隊が寝返って、通州の日本人居留民約260人を殺戮した残虐な事件です。

当時の通州
通州事件を実際に体験された女性の手記です。
クリックするとテキストファイルが開きます。
http://blog-imgs-46.fc2.com/r/o/b/roboukoishi/20101005211203598.txt
「通州事件」はその余りの残虐さに、現地の日本軍兵士を激昂させたし、日本では「膺懲(ようちょう)支那」の機運が盛り上がり、全面戦争への誘因になったのだが、なぜかこの事件は日本の歴史書や年表に載っていません。戦後、通州事件を外務省の公式声明を証拠として東京裁判に提出しようとしたが、ウェッブ裁判長によって却下され、日本の歴史から抹殺された。証拠の無い「南京事件」が教科書に載っても、「通州事件」が載ることはない。
【上海事変】
7月7日に勃発した盧溝橋事件からの日支衝突の和平交渉の最中の8月13日、突如支那軍は70,000人で上海の日本租界を包囲。対する日本の守備兵は海軍陸戦隊わずか4,000人。支那軍は、日本人居留民を包囲し、日本軍主力をおびき寄せ、殲滅しようとする作戦を実行に移したのである。蒋介石には日本を叩いて屈服させ、条約を全部無効にしたいという明確な意思が働いていました。日本はこうした意図を読み取れず、不拡大論、戦線拡大論が交錯することになります。
この頃の支那軍は、ドイツ軍事顧問団の訓練を受け、ドイツ製最新兵器を装備するなど用意周到な戦力で開戦に臨みましたが、寡兵かつ軽装備の海軍特別陸戦隊が大奮戦します。23日に待ちに望んだ日本陸軍主力部隊が上陸を開始しますが、支那軍は堅固な要塞でこれを殲滅する作戦を立てていました。

ドイツ製最新装備にて行進する中国国民党軍
苦戦の末、日本軍主力部隊は要塞を突破、陸戦隊は日本人租界を守り切って第二の通州の惨劇を免れることができたものの、日本側は3ヶ月で戦死者10076名、戦傷者31866名、合わせて41942名の死傷者を出し、日露戦争の旅順攻略にも匹敵する凄残な攻防戦となった。
日本は、国民党政府が協定違反による開戦意思を持っている以上、これと対決する以外ないと判断し、南京にに向けて敗走する支那軍を追撃。日中は全面戦争へ突入していくことになったのである。歴史上、上海事変の詳細が語られないのは、計画的かつ圧倒的戦力の支那軍が協定を無視して手薄な日本軍を奇襲攻撃したことが、日本に「侵略国家」のレッテルを張りたい中国(連合国)にとって都合の悪い事実だったからである。
ニューヨーク・タイムズ8月30日
「日本軍は敵の挑発の下で最大限に抑制した態度を示し、数日の間だけでも全ての日本軍上陸部隊を兵営の中から一歩も出させなかった。ただしそれによって日本人の生命と財産を幾分危険にさらしたのではあるが…」
ニューヨーク・ヘラルドトリビューン紙9月16日
「中国軍が上海地域で戦闘を無理強いしてきたのは疑う余地は無い」
歴史教科書にあるように、日本が中国北部に侵入(侵略)したわけでなく、盧溝橋事件をきっかけに日中が戦争を始めたわけでもなく、どこにも日本が侵略した事実など無いのです。事実は国際条約に沿って進駐していた日本軍に挑発を重ね、休戦協定を破って攻撃を繰り返し、日本人租界に住む民間人を襲撃したこと。一方、日本側はギリギリまで反撃を避けており、欧米諸国の新聞社も日本に同情的であったことが分かります。事実はそれだけしかないのです。つまり、日本は中国の歴史史観を押し付けられ、受け入れてしまっているのである。
参考までに歴史教科書の比較資料リンクを掲載します。中にはどこの国の教科書なのかと疑いたくなるようなものも多い。出版社は「売れる教科書」を作るのであるが、採択に日教組教員が直接または間接的に関与しているケースが多いことが原因の一つであろう。
日本文教出版. 帝国書院. 清水書院. 自由社. 教育出版. 育鵬社、東京書籍
各年代別比較表 PDFダウンロード 344KB
みなさんは敗戦までの日本を、非常に好戦的かつ凶暴で、自由の無い暗黒国家であったように教育されませんでしたか?私はずっと違和感を感じていました。国によって史観が異なるのは仕方がない。だが、事実を歪曲してまで戦前の日本を愚弄することはあってはならない。これは国のために命を捧げた英霊までも罪人扱いにしようとするに等しいことなのである。
日本の歴史教科書において、出版会社の立ち位置がよく分かる項目の一つが「日中戦争(支那事変)」である。
「満州を支配下に置いた日本は、さらに中国北部に侵入しました。1937(昭和12)年7月7日、北京郊外の盧溝橋付近で起こった日中両国軍の武力衝突(盧溝橋事件)をきっかけに、日中戦争が始まりました」といった具合である。また、私が学んだ当時の教科書においては、盧溝橋事件については、関東軍により行われた謀略だと書いてあった。これは、見事なまでに中国が主張している中国の歴史史観。逆に言えば日本にとっての自虐史観である。では実際はどうだったのか?
【義和団事件】
日本にとって戦略的要衝であった朝鮮半島の独立をめぐる日中の争いは、日清戦争における日本圧勝で終わった。以降、「眠れる獅子」の幻想が消えた清は、欧米列強に分割統治されるにいたる。統治能力を失った清朝政府は1900年、「義和団」による排外運動を扇動した上に欧米列国に宣戦布告、公使舘地域を封鎖した。英・米・独・露・伊・墺・日の八ヶ国は連合して天津から北京へ救援部隊を差し向けた。

柴五郎を筆頭に日本軍の勇猛果敢と軍規厳正は、列強を瞠目せしめた。篭城していた外交団・居留民は救われ、義和団は四散し、清朝政府は治安維持のため、諸外国に駐兵権を与えた。1937年7月に日本軍部隊が北京郊外の盧溝橋にいたのは、そういう経緯があったのである。
【盧溝橋事件】
支那駐屯軍(日本軍)5,300人と、中国国民党軍100,000人が衝突。1937年7月7日夕方、どちらが最初に発砲したかについて、東京裁判の最中に劉小奇(共産党員)が「仕掛け人は中国共産党で自分は現地指揮者」と戦史政治課本に書いてある…というのは葛西純一氏の証言のみなので決定的証拠にはならず、今のところ、偶発的に銃撃戦が発生したと考えるのが妥当でしょう。
しかし、その後支那軍は締結された休戦協定を何度も破って再三日本軍を攻撃し、、第37師団を撤退させるという宋哲元の度重なる誓約にもかかわらず、同じ場所に留まりつづけた。7月27日、日本政府は平和的解決の望みを捨てて中国への援軍派遣を決定した。日付に注意して欲しい。日本軍は寡兵であるにもかかわらず、本国の軍隊を紛争地へ派遣する命令を出すまでに3週間が経過しているのに対して、南京政府は7月9日の段階で動員令を出している。20日間もの間、日本は何とかしてこの軍事衝突を最小限に抑え、地域的な紛争に限定し、平和的解決を図ろうと努力をしている一方、中国はその間、誓約を破り、挑発を繰り返していたのである。これが客観的事実である。その後、中国が共産党の策動を弾圧することなどを条件に、正式に停戦協定が成立し、調印を行なった。日本軍戦死:600余名 、中国軍戦死:16,700余名。
【通州事件】
盧溝橋事件の3週間後の1937年7月29日、盧溝橋の近くの「通州」という町で起こった日本人虐殺事件。これは、「盧溝橋で支那軍が日本軍に大勝し、通州を襲う」というデマ放送が流され、これに動揺した通州の親日派である冀東保安隊が寝返って、通州の日本人居留民約260人を殺戮した残虐な事件です。

当時の通州
通州事件を実際に体験された女性の手記です。
クリックするとテキストファイルが開きます。
http://blog-imgs-46.fc2.com/r/o/b/roboukoishi/20101005211203598.txt
「通州事件」はその余りの残虐さに、現地の日本軍兵士を激昂させたし、日本では「膺懲(ようちょう)支那」の機運が盛り上がり、全面戦争への誘因になったのだが、なぜかこの事件は日本の歴史書や年表に載っていません。戦後、通州事件を外務省の公式声明を証拠として東京裁判に提出しようとしたが、ウェッブ裁判長によって却下され、日本の歴史から抹殺された。証拠の無い「南京事件」が教科書に載っても、「通州事件」が載ることはない。
【上海事変】
7月7日に勃発した盧溝橋事件からの日支衝突の和平交渉の最中の8月13日、突如支那軍は70,000人で上海の日本租界を包囲。対する日本の守備兵は海軍陸戦隊わずか4,000人。支那軍は、日本人居留民を包囲し、日本軍主力をおびき寄せ、殲滅しようとする作戦を実行に移したのである。蒋介石には日本を叩いて屈服させ、条約を全部無効にしたいという明確な意思が働いていました。日本はこうした意図を読み取れず、不拡大論、戦線拡大論が交錯することになります。
この頃の支那軍は、ドイツ軍事顧問団の訓練を受け、ドイツ製最新兵器を装備するなど用意周到な戦力で開戦に臨みましたが、寡兵かつ軽装備の海軍特別陸戦隊が大奮戦します。23日に待ちに望んだ日本陸軍主力部隊が上陸を開始しますが、支那軍は堅固な要塞でこれを殲滅する作戦を立てていました。

ドイツ製最新装備にて行進する中国国民党軍
苦戦の末、日本軍主力部隊は要塞を突破、陸戦隊は日本人租界を守り切って第二の通州の惨劇を免れることができたものの、日本側は3ヶ月で戦死者10076名、戦傷者31866名、合わせて41942名の死傷者を出し、日露戦争の旅順攻略にも匹敵する凄残な攻防戦となった。
日本は、国民党政府が協定違反による開戦意思を持っている以上、これと対決する以外ないと判断し、南京にに向けて敗走する支那軍を追撃。日中は全面戦争へ突入していくことになったのである。歴史上、上海事変の詳細が語られないのは、計画的かつ圧倒的戦力の支那軍が協定を無視して手薄な日本軍を奇襲攻撃したことが、日本に「侵略国家」のレッテルを張りたい中国(連合国)にとって都合の悪い事実だったからである。
ニューヨーク・タイムズ8月30日
「日本軍は敵の挑発の下で最大限に抑制した態度を示し、数日の間だけでも全ての日本軍上陸部隊を兵営の中から一歩も出させなかった。ただしそれによって日本人の生命と財産を幾分危険にさらしたのではあるが…」
ニューヨーク・ヘラルドトリビューン紙9月16日
「中国軍が上海地域で戦闘を無理強いしてきたのは疑う余地は無い」
歴史教科書にあるように、日本が中国北部に侵入(侵略)したわけでなく、盧溝橋事件をきっかけに日中が戦争を始めたわけでもなく、どこにも日本が侵略した事実など無いのです。事実は国際条約に沿って進駐していた日本軍に挑発を重ね、休戦協定を破って攻撃を繰り返し、日本人租界に住む民間人を襲撃したこと。一方、日本側はギリギリまで反撃を避けており、欧米諸国の新聞社も日本に同情的であったことが分かります。事実はそれだけしかないのです。つまり、日本は中国の歴史史観を押し付けられ、受け入れてしまっているのである。
参考までに歴史教科書の比較資料リンクを掲載します。中にはどこの国の教科書なのかと疑いたくなるようなものも多い。出版社は「売れる教科書」を作るのであるが、採択に日教組教員が直接または間接的に関与しているケースが多いことが原因の一つであろう。
日本文教出版. 帝国書院. 清水書院. 自由社. 教育出版. 育鵬社、東京書籍
各年代別比較表 PDFダウンロード 344KB
中国史観の日本教育 【歴史問題】
そもそも歴史とは、当事国の立ち位置によって大きく変わる事を知る必要がある。例えば、中国四千年(最近は六千年と主張)の歴史などは単なる政治的なキャッチフレーズであって、実際は存在しないのである。実際の中国は、戦争で勝った者が次々と皇帝を名乗り、前王朝の抹殺、大量虐殺を繰り返し、普遍的な民族すら存在しない断絶の歴史なのである。つまり、歴史史観とは、必ずしも事実に基づいたものではないのである。
みなさんは敗戦までの日本を、非常に好戦的かつ凶暴で、自由の無い暗黒国家であったように教育されませんでしたか?私はずっと違和感を感じていました。国によって史観が異なるのは仕方がない。だが、事実を歪曲してまで戦前の日本を愚弄することはあってはならない。これは国のために命を捧げた英霊までも罪人扱いにしようとするに等しいことなのである。
日本の歴史教科書において、出版会社の立ち位置がよく分かる項目の一つが「日中戦争(支那事変)」である。
「満州を支配下に置いた日本は、さらに中国北部に侵入しました。1937(昭和12)年7月7日、北京郊外の盧溝橋付近で起こった日中両国軍の武力衝突(盧溝橋事件)をきっかけに、日中戦争が始まりました」といった具合である。また、私が学んだ当時の教科書においては、盧溝橋事件については、関東軍により行われた謀略だと書いてあった。これは、見事なまでに中国が主張している中国の歴史史観。逆に言えば日本にとっての自虐史観である。では実際はどうだったのか?
【義和団事件】
日本にとって戦略的要衝であった朝鮮半島の独立をめぐる日中の争いは、日清戦争における日本圧勝で終わった。以降、「眠れる獅子」の幻想が消えた清は、欧米列強に分割統治されるにいたる。統治能力を失った清朝政府は1900年、「義和団」による排外運動を扇動した上に欧米列国に宣戦布告、公使舘地域を封鎖した。英・米・独・露・伊・墺・日の八ヶ国は連合して天津から北京へ救援部隊を差し向けた。

柴五郎を筆頭に日本軍の勇猛果敢と軍規厳正は、列強を瞠目せしめた。篭城していた外交団・居留民は救われ、義和団は四散し、清朝政府は治安維持のため、諸外国に駐兵権を与えた。1937年7月に日本軍部隊が北京郊外の盧溝橋にいたのは、そういう経緯があったのである。
【盧溝橋事件】
支那駐屯軍(日本軍)5,300人と、中国国民党軍100,000人が衝突。1937年7月7日夕方、どちらが最初に発砲したかについて、東京裁判の最中に劉小奇(共産党員)が「仕掛け人は中国共産党で自分は現地指揮者」と戦史政治課本に書いてある…というのは葛西純一氏の証言のみなので決定的証拠にはならず、今のところ、偶発的に銃撃戦が発生したと考えるのが妥当でしょう。
しかし、その後支那軍は締結された休戦協定を何度も破って再三日本軍を攻撃し、、第37師団を撤退させるという宋哲元の度重なる誓約にもかかわらず、同じ場所に留まりつづけた。7月27日、日本政府は平和的解決の望みを捨てて中国への援軍派遣を決定した。日付に注意して欲しい。日本軍は寡兵であるにもかかわらず、本国の軍隊を紛争地へ派遣する命令を出すまでに3週間が経過しているのに対して、南京政府は7月9日の段階で動員令を出している。20日間もの間、日本は何とかしてこの軍事衝突を最小限に抑え、地域的な紛争に限定し、平和的解決を図ろうと努力をしている一方、中国はその間、誓約を破り、挑発を繰り返していたのである。これが客観的事実である。その後、中国が共産党の策動を弾圧することなどを条件に、正式に停戦協定が成立し、調印を行なった。日本軍戦死:600余名 、中国軍戦死:16,700余名。
【通州事件】
盧溝橋事件の3週間後の1937年7月29日、盧溝橋の近くの「通州」という町で起こった日本人虐殺事件。これは、「盧溝橋で支那軍が日本軍に大勝し、通州を襲う」というデマ放送が流され、これに動揺した通州の親日派である冀東保安隊が寝返って、通州の日本人居留民約260人を殺戮した残虐な事件です。

当時の通州
通州事件を実際に体験された女性の手記です。
クリックするとテキストファイルが開きます。
http://blog-imgs-46.fc2.com/r/o/b/roboukoishi/20101005211203598.txt
「通州事件」はその余りの残虐さに、現地の日本軍兵士を激昂させたし、日本では「膺懲(ようちょう)支那」の機運が盛り上がり、全面戦争への誘因になったのだが、なぜかこの事件は日本の歴史書や年表に載っていません。戦後、通州事件を外務省の公式声明を証拠として東京裁判に提出しようとしたが、ウェッブ裁判長によって却下され、日本の歴史から抹殺された。証拠の無い「南京事件」が教科書に載っても、「通州事件」が載ることはない。
【上海事変】
7月7日に勃発した盧溝橋事件からの日支衝突の和平交渉の最中の8月13日、突如支那軍は70,000人で上海の日本租界を包囲。対する日本の守備兵は海軍陸戦隊わずか4,000人。支那軍は、日本人居留民を包囲し、日本軍主力をおびき寄せ、殲滅しようとする作戦を実行に移したのである。蒋介石には日本を叩いて屈服させ、条約を全部無効にしたいという明確な意思が働いていました。日本はこうした意図を読み取れず、不拡大論、戦線拡大論が交錯することになります。
この頃の支那軍は、ドイツ軍事顧問団の訓練を受け、ドイツ製最新兵器を装備するなど用意周到な戦力で開戦に臨みましたが、寡兵かつ軽装備の海軍特別陸戦隊が大奮戦します。23日に待ちに望んだ日本陸軍主力部隊が上陸を開始しますが、支那軍は堅固な要塞でこれを殲滅する作戦を立てていました。

ドイツ製最新装備にて行進する中国国民党軍
苦戦の末、日本軍主力部隊は要塞を突破、陸戦隊は日本人租界を守り切って第二の通州の惨劇を免れることができたものの、日本側は3ヶ月で戦死者10076名、戦傷者31866名、合わせて41942名の死傷者を出し、日露戦争の旅順攻略にも匹敵する凄残な攻防戦となった。
日本は、国民党政府が協定違反による開戦意思を持っている以上、これと対決する以外ないと判断し、南京にに向けて敗走する支那軍を追撃。日中は全面戦争へ突入していくことになったのである。歴史上、上海事変の詳細が語られないのは、計画的かつ圧倒的戦力の支那軍が協定を無視して手薄な日本軍を奇襲攻撃したことが、日本に「侵略国家」のレッテルを張りたい中国(連合国)にとって都合の悪い事実だったからである。
ニューヨーク・タイムズ8月30日
「日本軍は敵の挑発の下で最大限に抑制した態度を示し、数日の間だけでも全ての日本軍上陸部隊を兵営の中から一歩も出させなかった。ただしそれによって日本人の生命と財産を幾分危険にさらしたのではあるが…」
ニューヨーク・ヘラルドトリビューン紙9月16日
「中国軍が上海地域で戦闘を無理強いしてきたのは疑う余地は無い」
歴史教科書にあるように、日本が中国北部に侵入(侵略)したわけでなく、盧溝橋事件をきっかけに日中が戦争を始めたわけでもなく、どこにも日本が侵略した事実など無いのです。事実は国際条約に沿って進駐していた日本軍に挑発を重ね、休戦協定を破って攻撃を繰り返し、日本人租界に住む民間人を襲撃したこと。一方、日本側はギリギリまで反撃を避けており、欧米諸国の新聞社も日本に同情的であったことが分かります。事実はそれだけしかないのです。つまり、日本は中国の歴史史観を押し付けられ、受け入れてしまっているのである。
参考までに歴史教科書の比較資料リンクを掲載します。中にはどこの国の教科書なのかと疑いたくなるようなものも多い。出版社は「売れる教科書」を作るのであるが、採択に日教組教員が直接または間接的に関与しているケースが多いことが原因の一つであろう。
日本文教出版. 帝国書院. 清水書院. 自由社. 教育出版. 育鵬社、東京書籍
歴史教科書 出版社別比較表 PDFダウンロード 344KB
みなさんは敗戦までの日本を、非常に好戦的かつ凶暴で、自由の無い暗黒国家であったように教育されませんでしたか?私はずっと違和感を感じていました。国によって史観が異なるのは仕方がない。だが、事実を歪曲してまで戦前の日本を愚弄することはあってはならない。これは国のために命を捧げた英霊までも罪人扱いにしようとするに等しいことなのである。
日本の歴史教科書において、出版会社の立ち位置がよく分かる項目の一つが「日中戦争(支那事変)」である。
「満州を支配下に置いた日本は、さらに中国北部に侵入しました。1937(昭和12)年7月7日、北京郊外の盧溝橋付近で起こった日中両国軍の武力衝突(盧溝橋事件)をきっかけに、日中戦争が始まりました」といった具合である。また、私が学んだ当時の教科書においては、盧溝橋事件については、関東軍により行われた謀略だと書いてあった。これは、見事なまでに中国が主張している中国の歴史史観。逆に言えば日本にとっての自虐史観である。では実際はどうだったのか?
【義和団事件】
日本にとって戦略的要衝であった朝鮮半島の独立をめぐる日中の争いは、日清戦争における日本圧勝で終わった。以降、「眠れる獅子」の幻想が消えた清は、欧米列強に分割統治されるにいたる。統治能力を失った清朝政府は1900年、「義和団」による排外運動を扇動した上に欧米列国に宣戦布告、公使舘地域を封鎖した。英・米・独・露・伊・墺・日の八ヶ国は連合して天津から北京へ救援部隊を差し向けた。

柴五郎を筆頭に日本軍の勇猛果敢と軍規厳正は、列強を瞠目せしめた。篭城していた外交団・居留民は救われ、義和団は四散し、清朝政府は治安維持のため、諸外国に駐兵権を与えた。1937年7月に日本軍部隊が北京郊外の盧溝橋にいたのは、そういう経緯があったのである。
【盧溝橋事件】
支那駐屯軍(日本軍)5,300人と、中国国民党軍100,000人が衝突。1937年7月7日夕方、どちらが最初に発砲したかについて、東京裁判の最中に劉小奇(共産党員)が「仕掛け人は中国共産党で自分は現地指揮者」と戦史政治課本に書いてある…というのは葛西純一氏の証言のみなので決定的証拠にはならず、今のところ、偶発的に銃撃戦が発生したと考えるのが妥当でしょう。
しかし、その後支那軍は締結された休戦協定を何度も破って再三日本軍を攻撃し、、第37師団を撤退させるという宋哲元の度重なる誓約にもかかわらず、同じ場所に留まりつづけた。7月27日、日本政府は平和的解決の望みを捨てて中国への援軍派遣を決定した。日付に注意して欲しい。日本軍は寡兵であるにもかかわらず、本国の軍隊を紛争地へ派遣する命令を出すまでに3週間が経過しているのに対して、南京政府は7月9日の段階で動員令を出している。20日間もの間、日本は何とかしてこの軍事衝突を最小限に抑え、地域的な紛争に限定し、平和的解決を図ろうと努力をしている一方、中国はその間、誓約を破り、挑発を繰り返していたのである。これが客観的事実である。その後、中国が共産党の策動を弾圧することなどを条件に、正式に停戦協定が成立し、調印を行なった。日本軍戦死:600余名 、中国軍戦死:16,700余名。
【通州事件】
盧溝橋事件の3週間後の1937年7月29日、盧溝橋の近くの「通州」という町で起こった日本人虐殺事件。これは、「盧溝橋で支那軍が日本軍に大勝し、通州を襲う」というデマ放送が流され、これに動揺した通州の親日派である冀東保安隊が寝返って、通州の日本人居留民約260人を殺戮した残虐な事件です。

当時の通州
通州事件を実際に体験された女性の手記です。
クリックするとテキストファイルが開きます。
http://blog-imgs-46.fc2.com/r/o/b/roboukoishi/20101005211203598.txt
「通州事件」はその余りの残虐さに、現地の日本軍兵士を激昂させたし、日本では「膺懲(ようちょう)支那」の機運が盛り上がり、全面戦争への誘因になったのだが、なぜかこの事件は日本の歴史書や年表に載っていません。戦後、通州事件を外務省の公式声明を証拠として東京裁判に提出しようとしたが、ウェッブ裁判長によって却下され、日本の歴史から抹殺された。証拠の無い「南京事件」が教科書に載っても、「通州事件」が載ることはない。
【上海事変】
7月7日に勃発した盧溝橋事件からの日支衝突の和平交渉の最中の8月13日、突如支那軍は70,000人で上海の日本租界を包囲。対する日本の守備兵は海軍陸戦隊わずか4,000人。支那軍は、日本人居留民を包囲し、日本軍主力をおびき寄せ、殲滅しようとする作戦を実行に移したのである。蒋介石には日本を叩いて屈服させ、条約を全部無効にしたいという明確な意思が働いていました。日本はこうした意図を読み取れず、不拡大論、戦線拡大論が交錯することになります。
この頃の支那軍は、ドイツ軍事顧問団の訓練を受け、ドイツ製最新兵器を装備するなど用意周到な戦力で開戦に臨みましたが、寡兵かつ軽装備の海軍特別陸戦隊が大奮戦します。23日に待ちに望んだ日本陸軍主力部隊が上陸を開始しますが、支那軍は堅固な要塞でこれを殲滅する作戦を立てていました。

ドイツ製最新装備にて行進する中国国民党軍
苦戦の末、日本軍主力部隊は要塞を突破、陸戦隊は日本人租界を守り切って第二の通州の惨劇を免れることができたものの、日本側は3ヶ月で戦死者10076名、戦傷者31866名、合わせて41942名の死傷者を出し、日露戦争の旅順攻略にも匹敵する凄残な攻防戦となった。
日本は、国民党政府が協定違反による開戦意思を持っている以上、これと対決する以外ないと判断し、南京にに向けて敗走する支那軍を追撃。日中は全面戦争へ突入していくことになったのである。歴史上、上海事変の詳細が語られないのは、計画的かつ圧倒的戦力の支那軍が協定を無視して手薄な日本軍を奇襲攻撃したことが、日本に「侵略国家」のレッテルを張りたい中国(連合国)にとって都合の悪い事実だったからである。
ニューヨーク・タイムズ8月30日
「日本軍は敵の挑発の下で最大限に抑制した態度を示し、数日の間だけでも全ての日本軍上陸部隊を兵営の中から一歩も出させなかった。ただしそれによって日本人の生命と財産を幾分危険にさらしたのではあるが…」
ニューヨーク・ヘラルドトリビューン紙9月16日
「中国軍が上海地域で戦闘を無理強いしてきたのは疑う余地は無い」
歴史教科書にあるように、日本が中国北部に侵入(侵略)したわけでなく、盧溝橋事件をきっかけに日中が戦争を始めたわけでもなく、どこにも日本が侵略した事実など無いのです。事実は国際条約に沿って進駐していた日本軍に挑発を重ね、休戦協定を破って攻撃を繰り返し、日本人租界に住む民間人を襲撃したこと。一方、日本側はギリギリまで反撃を避けており、欧米諸国の新聞社も日本に同情的であったことが分かります。事実はそれだけしかないのです。つまり、日本は中国の歴史史観を押し付けられ、受け入れてしまっているのである。
参考までに歴史教科書の比較資料リンクを掲載します。中にはどこの国の教科書なのかと疑いたくなるようなものも多い。出版社は「売れる教科書」を作るのであるが、採択に日教組教員が直接または間接的に関与しているケースが多いことが原因の一つであろう。
日本文教出版. 帝国書院. 清水書院. 自由社. 教育出版. 育鵬社、東京書籍
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日本人が忘れてしまったもの【坂井三郎】
【坂井三郎】
大日本帝国海軍の戦闘機パイロット。終戦までに大小の敵機64機撃墜のスコアを残す日本のエース・パイロットとして知られる。戦後に海軍時代の経験を綴った著書『大空のサムライ』は世界的ベストセラー。映画化の際は、「大空に散っていった戦友こそが、本当の大空のサムライです」と語った。

零戦11型(坂井三郎氏撮影)
戦後は、東京に在住、執筆活動や講演を行なった。座右の銘は「不撓不屈」(決してあきらめないこと)。2000年9月22日、厚木基地で催されたアメリカ海軍西太平洋艦隊航空司令部50周年記念祝賀夕食会で、来賓として自らの使命感を語り、食事を終えて帰途についた際、体調不良を訴えたため、大事をとっての検査入院中の同日夜に死去。享年84。検査中に主治医に配慮して、「もう眠っても良いか」と尋ねたのが最期の言葉となった。

WiLL別冊四月号「歴史通」に坂井三郎氏の「大空のサムライ 最後のロングインタビュー」という興味深い記事が掲載されました。非常に貴重、かつ明快な発言をされてらっしゃるので転載します。
【日本はアメリカの寄生虫】
以下引用
日本人は一億総寄生虫ですよ。アメリカにずっと寄生してきたから、ごらんなさい、このざまです。アメリカに見捨てられたらもう日本は滅亡ですよ。五十年も寄生していたら確実に人間は変わります。コロコロ変わるから「心」というんです。
戦争直後、夫を戦地でなくして家を焼かれ、子供たちを抱えてどうしようもなくなって乞食をして暮らしていたおふくろさんがいた。それをあわれんだパン屋さんが売れ残りのパンをあげたんです。
おふくろさんは「ありがとうございます。ありがとうございます。」と随喜の涙を流して喜んだ。それで次の日も、その次の日もパンを与えたんですが、たまたま遠くに出かける用事ができて、しばらく行かなかった。
そうして、何日かして顔を見せたら、おふくろさんは「昨日もおとといも、何で来なかったんだ」と言ってパン屋さんをなじったそうです。
最初は涙を流して喜んだそのおふくろさんがですよ。
いったん寄生してしまうと人間はそれほど変わる。
略)
日本は何もせず経済発展に邁進した結果、アメリカの寄生虫になってしまった。その寄生虫がてんでに勝手なことを言っている。高校や大学でそういうことを教えないと日本は危ういと思います。
(P八十一)
【歴史問題】
学校で本当のことを教えればいいんです。
たとえば、「従軍慰安婦」なんて言葉は、当時はなかった。第一、戦地に女なんかいませんよ。一人も見たことがない。それに、これは重要なことなんですが、一日行軍したらもう女どころじゃあありません。
三八式歩兵銃を担いで、背嚢しょって、前に四十発、後ろに八十発の弾丸下げて手榴弾持って。行軍終えて荷物を下ろした時には腰にこすれてそれこそ血だらけです。
もう性欲どころか食欲もない。バタングーですよ。そんな状態で女を引き連れていけますか。まして道々片っ端から強姦しながらなんて、冗談じゃない。
たしかに、戦闘の行なわれていない後方基地には慰安婦はいました。けれど、これはどこでもそうでしたが、慰安婦は司令官の給料の何倍ももらっていた。バラバラにならないように軍票を積み上げてヒモでしばって、その一束がちょうどレンガぐらいの大きさになるので「レンガ」と言っていましたが、それを四つも五つも下げていたんです。
それに自由もあった。今日は接客したくないと言えば、飯だけ食ってブラブラしていてもよかった。
「南京大虐殺」だってそうです。南京が陥落したら陸軍のほとんどはすぐに出て行ってしまった。残ったのは千五百人ぐらいですよ。千五百人でどうやって二〇万人、三〇万人を殺すんですか。穴を掘るだけだって大変ですよ。そうかといって川へ流そうもんなら、たくさんの遺体が上海までプカリプカリ浮いていく。世界中の報道班が来ているんですよ。大虐殺があったら気づかないはずがない。東京裁判まで、そんな話はまったく出ていませんでした。
日本軍の虐殺行為を撮影したというアメリカのドキュメンタリーがありましたが、あれは日本軍ではない。共産軍です。見落としている人が多いようですが、我々が見ればすぐわかる。日本軍、蒋介石軍、共産軍でそれぞれ脚絆の巻き方、靴が違うんです。私が見た映画で日本軍とされていたのは、すべて脚絆の巻き方が共産軍のものだった。たしかに軍服と軍帽は日本軍のものでしたが、どんなに欺いてみせようとしても、ちょっとしたところで馬脚を現してしまう。
要するに、慰安婦問題も南京虐殺も、日本が経済大国になってカネができてから韓国、中国が言い出したことです。日本が食うに困るような国だったらそんなことは言わない。カネ狙いの捏造ですよ。だから理路整然と対抗しなければいけない。弁明するんじゃなくて、事実を言うんです。
そんなことよりも、ラバウルには韓国人が三千名、台湾人と高砂族が会わせて二千名、計五千名の私設(施設の間違い?)部隊がありました。
その部隊の長が、このあいだもここを訪ねて来られましたが、あの人たちは天皇の軍隊、皇軍としてラバウルまで行き、大変な働きをしたんです。だから当然、退職金がわりに恩給を支払うべきです。負けて国籍が変わったからって払わないというのは道義に反していますよ。
謝罪だ、補償だって、払ってはならないところに言いなりに払って、皇軍として命がけで働いた人たちに何もしない。これはどう考えてもおかしいんじゃありませんか。
引用終わり(P八二〜八三)
私の思い
「アメリカの寄生虫」に成り下がった現在の日本を「乞食」と評し、特定アジア諸国(中国・韓国・北朝鮮)との歴史問題は、単なる金銭目当ての捏造と切り捨てるとともに、事実を基に冷静に反論すべきと語る。一方で戦前に日本に協力してくれた台湾・朝鮮の元兵隊には負けて国籍が変わっても恩給を支払うべきだと主張するのは、坂井氏の毅然とした国家観である。
「自らの足で立ち、是は是・否は否で判断し、恩には礼をもって報いる」
坂井氏は、日本人が失ってしまった精神、これからの日本が進むべき道を示してくれているのではないでしょうか。
大日本帝国海軍の戦闘機パイロット。終戦までに大小の敵機64機撃墜のスコアを残す日本のエース・パイロットとして知られる。戦後に海軍時代の経験を綴った著書『大空のサムライ』は世界的ベストセラー。映画化の際は、「大空に散っていった戦友こそが、本当の大空のサムライです」と語った。

零戦11型(坂井三郎氏撮影)
戦後は、東京に在住、執筆活動や講演を行なった。座右の銘は「不撓不屈」(決してあきらめないこと)。2000年9月22日、厚木基地で催されたアメリカ海軍西太平洋艦隊航空司令部50周年記念祝賀夕食会で、来賓として自らの使命感を語り、食事を終えて帰途についた際、体調不良を訴えたため、大事をとっての検査入院中の同日夜に死去。享年84。検査中に主治医に配慮して、「もう眠っても良いか」と尋ねたのが最期の言葉となった。

WiLL別冊四月号「歴史通」に坂井三郎氏の「大空のサムライ 最後のロングインタビュー」という興味深い記事が掲載されました。非常に貴重、かつ明快な発言をされてらっしゃるので転載します。
【日本はアメリカの寄生虫】
以下引用
日本人は一億総寄生虫ですよ。アメリカにずっと寄生してきたから、ごらんなさい、このざまです。アメリカに見捨てられたらもう日本は滅亡ですよ。五十年も寄生していたら確実に人間は変わります。コロコロ変わるから「心」というんです。
戦争直後、夫を戦地でなくして家を焼かれ、子供たちを抱えてどうしようもなくなって乞食をして暮らしていたおふくろさんがいた。それをあわれんだパン屋さんが売れ残りのパンをあげたんです。
おふくろさんは「ありがとうございます。ありがとうございます。」と随喜の涙を流して喜んだ。それで次の日も、その次の日もパンを与えたんですが、たまたま遠くに出かける用事ができて、しばらく行かなかった。
そうして、何日かして顔を見せたら、おふくろさんは「昨日もおとといも、何で来なかったんだ」と言ってパン屋さんをなじったそうです。
最初は涙を流して喜んだそのおふくろさんがですよ。
いったん寄生してしまうと人間はそれほど変わる。
略)
日本は何もせず経済発展に邁進した結果、アメリカの寄生虫になってしまった。その寄生虫がてんでに勝手なことを言っている。高校や大学でそういうことを教えないと日本は危ういと思います。
(P八十一)
【歴史問題】
学校で本当のことを教えればいいんです。
たとえば、「従軍慰安婦」なんて言葉は、当時はなかった。第一、戦地に女なんかいませんよ。一人も見たことがない。それに、これは重要なことなんですが、一日行軍したらもう女どころじゃあありません。
三八式歩兵銃を担いで、背嚢しょって、前に四十発、後ろに八十発の弾丸下げて手榴弾持って。行軍終えて荷物を下ろした時には腰にこすれてそれこそ血だらけです。
もう性欲どころか食欲もない。バタングーですよ。そんな状態で女を引き連れていけますか。まして道々片っ端から強姦しながらなんて、冗談じゃない。
たしかに、戦闘の行なわれていない後方基地には慰安婦はいました。けれど、これはどこでもそうでしたが、慰安婦は司令官の給料の何倍ももらっていた。バラバラにならないように軍票を積み上げてヒモでしばって、その一束がちょうどレンガぐらいの大きさになるので「レンガ」と言っていましたが、それを四つも五つも下げていたんです。
それに自由もあった。今日は接客したくないと言えば、飯だけ食ってブラブラしていてもよかった。
「南京大虐殺」だってそうです。南京が陥落したら陸軍のほとんどはすぐに出て行ってしまった。残ったのは千五百人ぐらいですよ。千五百人でどうやって二〇万人、三〇万人を殺すんですか。穴を掘るだけだって大変ですよ。そうかといって川へ流そうもんなら、たくさんの遺体が上海までプカリプカリ浮いていく。世界中の報道班が来ているんですよ。大虐殺があったら気づかないはずがない。東京裁判まで、そんな話はまったく出ていませんでした。
日本軍の虐殺行為を撮影したというアメリカのドキュメンタリーがありましたが、あれは日本軍ではない。共産軍です。見落としている人が多いようですが、我々が見ればすぐわかる。日本軍、蒋介石軍、共産軍でそれぞれ脚絆の巻き方、靴が違うんです。私が見た映画で日本軍とされていたのは、すべて脚絆の巻き方が共産軍のものだった。たしかに軍服と軍帽は日本軍のものでしたが、どんなに欺いてみせようとしても、ちょっとしたところで馬脚を現してしまう。
要するに、慰安婦問題も南京虐殺も、日本が経済大国になってカネができてから韓国、中国が言い出したことです。日本が食うに困るような国だったらそんなことは言わない。カネ狙いの捏造ですよ。だから理路整然と対抗しなければいけない。弁明するんじゃなくて、事実を言うんです。
そんなことよりも、ラバウルには韓国人が三千名、台湾人と高砂族が会わせて二千名、計五千名の私設(施設の間違い?)部隊がありました。
その部隊の長が、このあいだもここを訪ねて来られましたが、あの人たちは天皇の軍隊、皇軍としてラバウルまで行き、大変な働きをしたんです。だから当然、退職金がわりに恩給を支払うべきです。負けて国籍が変わったからって払わないというのは道義に反していますよ。
謝罪だ、補償だって、払ってはならないところに言いなりに払って、皇軍として命がけで働いた人たちに何もしない。これはどう考えてもおかしいんじゃありませんか。
引用終わり(P八二〜八三)
私の思い
「アメリカの寄生虫」に成り下がった現在の日本を「乞食」と評し、特定アジア諸国(中国・韓国・北朝鮮)との歴史問題は、単なる金銭目当ての捏造と切り捨てるとともに、事実を基に冷静に反論すべきと語る。一方で戦前に日本に協力してくれた台湾・朝鮮の元兵隊には負けて国籍が変わっても恩給を支払うべきだと主張するのは、坂井氏の毅然とした国家観である。
「自らの足で立ち、是は是・否は否で判断し、恩には礼をもって報いる」
坂井氏は、日本人が失ってしまった精神、これからの日本が進むべき道を示してくれているのではないでしょうか。
日本人が忘れてしまったもの【坂井三郎】
【坂井三郎】
大日本帝国海軍の戦闘機パイロット。終戦までに大小の敵機64機撃墜のスコアを残す日本のエース・パイロットとして知られる。戦後に海軍時代の経験を綴った著書『大空のサムライ』は世界的ベストセラー。映画化の際は、「大空に散っていった戦友こそが、本当の大空のサムライです」と語った。

零戦11型(坂井三郎氏撮影)
戦後は、東京に在住、執筆活動や講演を行なった。座右の銘は「不撓不屈」(決してあきらめないこと)。2000年9月22日、厚木基地で催されたアメリカ海軍西太平洋艦隊航空司令部50周年記念祝賀夕食会で、来賓として自らの使命感を語り、食事を終えて帰途についた際、体調不良を訴えたため、大事をとっての検査入院中の同日夜に死去。享年84。検査中に主治医に配慮して、「もう眠っても良いか」と尋ねたのが最期の言葉となった。

WiLL別冊四月号「歴史通」に坂井三郎氏の「大空のサムライ 最後のロングインタビュー」という興味深い記事が掲載されました。非常に貴重、かつ明快な発言をされてらっしゃるので転載します。
【日本はアメリカの寄生虫】
以下引用
日本人は一億総寄生虫ですよ。アメリカにずっと寄生してきたから、ごらんなさい、このざまです。アメリカに見捨てられたらもう日本は滅亡ですよ。五十年も寄生していたら確実に人間は変わります。コロコロ変わるから「心」というんです。
戦争直後、夫を戦地でなくして家を焼かれ、子供たちを抱えてどうしようもなくなって乞食をして暮らしていたおふくろさんがいた。それをあわれんだパン屋さんが売れ残りのパンをあげたんです。
おふくろさんは「ありがとうございます。ありがとうございます。」と随喜の涙を流して喜んだ。それで次の日も、その次の日もパンを与えたんですが、たまたま遠くに出かける用事ができて、しばらく行かなかった。
そうして、何日かして顔を見せたら、おふくろさんは「昨日もおとといも、何で来なかったんだ」と言ってパン屋さんをなじったそうです。
最初は涙を流して喜んだそのおふくろさんがですよ。
いったん寄生してしまうと人間はそれほど変わる。
略)
日本は何もせず経済発展に邁進した結果、アメリカの寄生虫になってしまった。その寄生虫がてんでに勝手なことを言っている。高校や大学でそういうことを教えないと日本は危ういと思います。
(P八十一)
【歴史問題】
学校で本当のことを教えればいいんです。
たとえば、「従軍慰安婦」なんて言葉は、当時はなかった。第一、戦地に女なんかいませんよ。一人も見たことがない。それに、これは重要なことなんですが、一日行軍したらもう女どころじゃあありません。
三八式歩兵銃を担いで、背嚢しょって、前に四十発、後ろに八十発の弾丸下げて手榴弾持って。行軍終えて荷物を下ろした時には腰にこすれてそれこそ血だらけです。
もう性欲どころか食欲もない。バタングーですよ。そんな状態で女を引き連れていけますか。まして道々片っ端から強姦しながらなんて、冗談じゃない。
たしかに、戦闘の行なわれていない後方基地には慰安婦はいました。けれど、これはどこでもそうでしたが、慰安婦は司令官の給料の何倍ももらっていた。バラバラにならないように軍票を積み上げてヒモでしばって、その一束がちょうどレンガぐらいの大きさになるので「レンガ」と言っていましたが、それを四つも五つも下げていたんです。
それに自由もあった。今日は接客したくないと言えば、飯だけ食ってブラブラしていてもよかった。
「南京大虐殺」だってそうです。南京が陥落したら陸軍のほとんどはすぐに出て行ってしまった。残ったのは千五百人ぐらいですよ。千五百人でどうやって二〇万人、三〇万人を殺すんですか。穴を掘るだけだって大変ですよ。そうかといって川へ流そうもんなら、たくさんの遺体が上海までプカリプカリ浮いていく。世界中の報道班が来ているんですよ。大虐殺があったら気づかないはずがない。東京裁判まで、そんな話はまったく出ていませんでした。
日本軍の虐殺行為を撮影したというアメリカのドキュメンタリーがありましたが、あれは日本軍ではない。共産軍です。見落としている人が多いようですが、我々が見ればすぐわかる。日本軍、蒋介石軍、共産軍でそれぞれ脚絆の巻き方、靴が違うんです。私が見た映画で日本軍とされていたのは、すべて脚絆の巻き方が共産軍のものだった。たしかに軍服と軍帽は日本軍のものでしたが、どんなに欺いてみせようとしても、ちょっとしたところで馬脚を現してしまう。
要するに、慰安婦問題も南京虐殺も、日本が経済大国になってカネができてから韓国、中国が言い出したことです。日本が食うに困るような国だったらそんなことは言わない。カネ狙いの捏造ですよ。だから理路整然と対抗しなければいけない。弁明するんじゃなくて、事実を言うんです。
そんなことよりも、ラバウルには韓国人が三千名、台湾人と高砂族が会わせて二千名、計五千名の私設(施設の間違い?)部隊がありました。
その部隊の長が、このあいだもここを訪ねて来られましたが、あの人たちは天皇の軍隊、皇軍としてラバウルまで行き、大変な働きをしたんです。だから当然、退職金がわりに恩給を支払うべきです。負けて国籍が変わったからって払わないというのは道義に反していますよ。
謝罪だ、補償だって、払ってはならないところに言いなりに払って、皇軍として命がけで働いた人たちに何もしない。これはどう考えてもおかしいんじゃありませんか。
引用終わり(P八二~八三)
私の思い
「アメリカの寄生虫」に成り下がった現在の日本を「乞食」と評し、特定アジア諸国(中国・韓国・北朝鮮)との歴史問題は、単なる金銭目当ての捏造と切り捨てるとともに、事実を基に冷静に反論すべきと語る。一方で戦前に日本に協力してくれた台湾・朝鮮の元兵隊には負けて国籍が変わっても恩給を支払うべきだと主張するのは、坂井氏の毅然とした国家観である。
「自らの足で立ち、是は是・否は否で判断し、恩には礼をもって報いる」
坂井氏は、日本人が失ってしまった精神、これからの日本が進むべき道を示してくれているのではないでしょうか。
大日本帝国海軍の戦闘機パイロット。終戦までに大小の敵機64機撃墜のスコアを残す日本のエース・パイロットとして知られる。戦後に海軍時代の経験を綴った著書『大空のサムライ』は世界的ベストセラー。映画化の際は、「大空に散っていった戦友こそが、本当の大空のサムライです」と語った。

零戦11型(坂井三郎氏撮影)
戦後は、東京に在住、執筆活動や講演を行なった。座右の銘は「不撓不屈」(決してあきらめないこと)。2000年9月22日、厚木基地で催されたアメリカ海軍西太平洋艦隊航空司令部50周年記念祝賀夕食会で、来賓として自らの使命感を語り、食事を終えて帰途についた際、体調不良を訴えたため、大事をとっての検査入院中の同日夜に死去。享年84。検査中に主治医に配慮して、「もう眠っても良いか」と尋ねたのが最期の言葉となった。

WiLL別冊四月号「歴史通」に坂井三郎氏の「大空のサムライ 最後のロングインタビュー」という興味深い記事が掲載されました。非常に貴重、かつ明快な発言をされてらっしゃるので転載します。
【日本はアメリカの寄生虫】
以下引用
日本人は一億総寄生虫ですよ。アメリカにずっと寄生してきたから、ごらんなさい、このざまです。アメリカに見捨てられたらもう日本は滅亡ですよ。五十年も寄生していたら確実に人間は変わります。コロコロ変わるから「心」というんです。
戦争直後、夫を戦地でなくして家を焼かれ、子供たちを抱えてどうしようもなくなって乞食をして暮らしていたおふくろさんがいた。それをあわれんだパン屋さんが売れ残りのパンをあげたんです。
おふくろさんは「ありがとうございます。ありがとうございます。」と随喜の涙を流して喜んだ。それで次の日も、その次の日もパンを与えたんですが、たまたま遠くに出かける用事ができて、しばらく行かなかった。
そうして、何日かして顔を見せたら、おふくろさんは「昨日もおとといも、何で来なかったんだ」と言ってパン屋さんをなじったそうです。
最初は涙を流して喜んだそのおふくろさんがですよ。
いったん寄生してしまうと人間はそれほど変わる。
略)
日本は何もせず経済発展に邁進した結果、アメリカの寄生虫になってしまった。その寄生虫がてんでに勝手なことを言っている。高校や大学でそういうことを教えないと日本は危ういと思います。
(P八十一)
【歴史問題】
学校で本当のことを教えればいいんです。
たとえば、「従軍慰安婦」なんて言葉は、当時はなかった。第一、戦地に女なんかいませんよ。一人も見たことがない。それに、これは重要なことなんですが、一日行軍したらもう女どころじゃあありません。
三八式歩兵銃を担いで、背嚢しょって、前に四十発、後ろに八十発の弾丸下げて手榴弾持って。行軍終えて荷物を下ろした時には腰にこすれてそれこそ血だらけです。
もう性欲どころか食欲もない。バタングーですよ。そんな状態で女を引き連れていけますか。まして道々片っ端から強姦しながらなんて、冗談じゃない。
たしかに、戦闘の行なわれていない後方基地には慰安婦はいました。けれど、これはどこでもそうでしたが、慰安婦は司令官の給料の何倍ももらっていた。バラバラにならないように軍票を積み上げてヒモでしばって、その一束がちょうどレンガぐらいの大きさになるので「レンガ」と言っていましたが、それを四つも五つも下げていたんです。
それに自由もあった。今日は接客したくないと言えば、飯だけ食ってブラブラしていてもよかった。
「南京大虐殺」だってそうです。南京が陥落したら陸軍のほとんどはすぐに出て行ってしまった。残ったのは千五百人ぐらいですよ。千五百人でどうやって二〇万人、三〇万人を殺すんですか。穴を掘るだけだって大変ですよ。そうかといって川へ流そうもんなら、たくさんの遺体が上海までプカリプカリ浮いていく。世界中の報道班が来ているんですよ。大虐殺があったら気づかないはずがない。東京裁判まで、そんな話はまったく出ていませんでした。
日本軍の虐殺行為を撮影したというアメリカのドキュメンタリーがありましたが、あれは日本軍ではない。共産軍です。見落としている人が多いようですが、我々が見ればすぐわかる。日本軍、蒋介石軍、共産軍でそれぞれ脚絆の巻き方、靴が違うんです。私が見た映画で日本軍とされていたのは、すべて脚絆の巻き方が共産軍のものだった。たしかに軍服と軍帽は日本軍のものでしたが、どんなに欺いてみせようとしても、ちょっとしたところで馬脚を現してしまう。
要するに、慰安婦問題も南京虐殺も、日本が経済大国になってカネができてから韓国、中国が言い出したことです。日本が食うに困るような国だったらそんなことは言わない。カネ狙いの捏造ですよ。だから理路整然と対抗しなければいけない。弁明するんじゃなくて、事実を言うんです。
そんなことよりも、ラバウルには韓国人が三千名、台湾人と高砂族が会わせて二千名、計五千名の私設(施設の間違い?)部隊がありました。
その部隊の長が、このあいだもここを訪ねて来られましたが、あの人たちは天皇の軍隊、皇軍としてラバウルまで行き、大変な働きをしたんです。だから当然、退職金がわりに恩給を支払うべきです。負けて国籍が変わったからって払わないというのは道義に反していますよ。
謝罪だ、補償だって、払ってはならないところに言いなりに払って、皇軍として命がけで働いた人たちに何もしない。これはどう考えてもおかしいんじゃありませんか。
引用終わり(P八二~八三)
私の思い
「アメリカの寄生虫」に成り下がった現在の日本を「乞食」と評し、特定アジア諸国(中国・韓国・北朝鮮)との歴史問題は、単なる金銭目当ての捏造と切り捨てるとともに、事実を基に冷静に反論すべきと語る。一方で戦前に日本に協力してくれた台湾・朝鮮の元兵隊には負けて国籍が変わっても恩給を支払うべきだと主張するのは、坂井氏の毅然とした国家観である。
「自らの足で立ち、是は是・否は否で判断し、恩には礼をもって報いる」
坂井氏は、日本人が失ってしまった精神、これからの日本が進むべき道を示してくれているのではないでしょうか。
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